セミナー案内

●第98回 光透波セミナー
 ●日  時   5月30日(水) PM1:30~4:45
●場  所   神明いきいきプラザ   集会室  D(4F)            東京都港区浜松町1-6-7
         JR浜松町(北口)徒歩4分
         都営地下鉄大門(B1出口)徒歩4分
●演  題   「立替え立直しへの思考転換」 + 「光透波入門講座」
●講  師   宿 谷 直 晃
●参 加 費    初回の方は3,000円 2回目以後の方は1,000円

光透波とは

詞と語

ことは理論では言葉を「詞」と「語」に分けている
 ことは理論では言葉を大きく二つに分類しています。宇宙から降ろされた始めのコトバ=「詞」と、その後に人がアレンジした言葉=「語」と分けています。

 神性に満ちた「詞」は人と宇宙を繋げるコトバであり、「語」は人と人を繋ぐ伝達手段の言葉と言えましょう。従って今日類が使っている言葉はすべて「語」の言葉であり、その言葉の奥に秘められた真理を現すコトバが「詞=光透波」と表現しています。
 したがって、ことは理論とは数限りない言葉(文字)を字割(「語」を「詞」に読み解く)して、その奥に秘められた深意・真理の集積の元に構築された理論・哲理と言えるのです。
 このことを象徴的に表現している文字がありますので紹介いたしましょう。「理」という文字です。これを字割すると下記の図ようになります。

理

 「理」の文字は「一」が「埋」っていると書かれています。ことは理論では「一」は「絶対の秘密」と読み解いています。そして「理(ことわり)」とは「言」を「割る」、すなわち「字割」と解することができますので、「理の字の深意は字割すると埋っていた絶対の秘密が出て来る」ことを表していたのです。
 不思議ですね、文字の奥には神意が秘められている・・・。このように一つ一つの文字の真意を読み解いていたのでは、本稿を前に進めることが出来ませんので、ことは(光透波)の概論についてこの辺で一区切りさせて頂きたいと思います。
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光透波とは

太古の昔、コトバには大きな力があった
 かつて遠い遠い昔、人と神が共存共栄していた神代の昔、そう聖書では「エデンの園」とも言われていた時代は、言霊の栄えていた時代であったと想像できます。古来、日本の国は霊之本の国と言われ、言霊の幸はう国と言われていました。我が国最古の歴史書に古事記や日本書紀がありますが、その4倍の文字数を持ち古事記の原本になったと言われる書物の一つに神代文字(オシテ)で書かれたホツマがあります。そのホツマによれば、その頃「天之数え歌」という祝詞(のりと)を唱えると「死者も甦える」と書かれています。それほど太古の昔は言葉には力があったということです。

 今日とは異なり純朴で誠の心を保持していた私達の先祖はこの言霊の力を信じ畏敬(いけい)の念をもって生きていました。
 しかし、時代の経過とともに次第に人々の使う言葉は乱れ自我の心が高まるとともに言葉もアレンジされ、初めの言霊の力は失せてゆきました。言葉の乱れと共に人々の心は我善のエゴの心へと欲に毒されていったと考えられます。
 象徴的な事例として、現代人には「至誠天に通ず」という言葉は死語になっています。この素晴らしいコトバが使われなくなって久しいと言えましょう。特に近年、言葉の乱れは激しく、嘘と誇張と偽りのコトバが氾濫し、人々はパワーを失った抜け殻のような言葉を乱用して増々世の混乱を助長させているようです。この言葉の乱れを正し導く言霊学として光透波は啓かれていると認識しています。
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新時代の道標

人間だけが持つ「創造する力」の根源はコトバ
 人類最大のベストセラーであり最古の書物の一つに聖書があります。その聖書の創世記第一章二七節に「神は自分のかたちに人を創造された」とあります。ということは神と人間は似ているという事に他ならないと思います。
 では何が似ているかというと、姿かたちが似ているというのではないと思われます。なぜなら、神を見た人はいないと聖書にあるくらいですから、神には姿、形がない、と言えるからです。
 では、何が似ているのか。それは神の神たる所以(ゆえん)すなわち創造する力を人が持っているということです。それはサムシンググレートが人間にコトバを降ろされたところから始まりました。そのことにより人間は神と同じように創造する力を持つことになったのです。
 言葉があるから人は認識能力が向上し、思考を練り、欲望を燃やし、意識を高め、想像を巡らせることができるのです。そして意識は実現する・・・想像が創造へと結びついてゆき、人類は有史以前から現代に至るまで様々な文化文明を築くに至っているのです。

人が神に最も感謝すべき事は、言葉と文字と光なり
 このこと裏付ける文章が宇宙の意識体から降ろされていますので紹介いたしましょう。某国立大学教授である一二三朋子氏の啓示集に「神から人へ」「神誥記」の著書があります。その2000年5月9日の言葉の中で「神の恵みの最も尊き、ありがたきもの、そがことば。幾多の恵みのその中で、最も人の感謝すべきは、ことばと文字と、光なり。神の慈愛に触れたくば、神の与えしことばに触れよ。神の恵みの明らかなれば、人は自ずと感謝も高めて、命の波動も高まりゆかん・・・」と。このように「人が最も感謝すべきは、ことばと文字と光である」と強調されているのです。コトバが与えられなければ人は神の似姿には到底なれなかったことが理解できるのです。
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光透波とは

人の心もコトバによって出来ている
 私達が「考え」、「意識」する、この人間としての根本的な精神作用を言葉なしにやってみてください。出来ますか?絶対に出来ない筈です。人の想念もコトバを使っていて言葉があるからこそ回転させてゆけるのです。
 光透波理論では言葉を大きく三つに分けています。
1、声音言 (声に出た言葉=話し言葉)
2、観音言 (見る言葉=文字の言葉)
3、心音言 (頭の中で回転している言葉)
 このように声に出したり文字に書いたりしなくても、頭の中ではコトバの音を回転させて思考したり意識したりする心音言を駆使して、日々人は生きているのです。もっと言えば私達の心もコトバによって出来ているのです。
 「心もコトバ」に関し光透波を啓かれた小田野早秧先生の直弟子の一人であるH氏の「言の葉」という随想がありますので紹介いたしましょう。

 「心はことばでできている」こんなことを話し出すと、「そんなことはないよ、こころはこころだし、ことばとは別物だよ」という答えがかえってきそうですね。でも、よーく自分の心を冷静に見つめていると、いろんなことばが心の中で浮かんでは消え、そして、また浮かんでくる。その現実から逃れることはできませんね『ことばじゃないよ』ということばも、ことばを使わないで表現することはできませんね。それほど<ことば>というものは私たちと一体化したはたらきなのです。そのことばのもとは、ひとつひとつの音です。漢字を見ても、意識の『意』でも、文字を分解したら、『音』で『心』ができている、と書いてあります。『識』を見ても、『言』と『音』という意味がはいっていますね・・・・。

意識

―「音」の元素が何故50音か?その根拠は「音」の字を数に置き換えられる文字アルファベットで表現しますと「OTO」。アルファベットの順番はO=15・T=20・O=15になります。
 15+20+15=50、「OTO」の総和数は50になります。したがって音の元素数は50と、光透波理論では捉えています。
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