セミナー案内, 新時代の道標

物質科学と精神科学
 それでは光透波を学んでいる人たちから、これからの時代を導く哲理と信じられている光透波理論とは如何なるものなのでしょうか?
 周知のように現代の人類文明は原水爆ミサイルの開発や、地球環境の破壊、人口の爆発的な増大、食糧危機、各地で沸き起きている戦争や紛争やテロに象徴されるように、さまざまな矛盾と綻びの現象を生み出しています。しかもその解決策を未だ何一つ打ち出すことが出来ずに迷走し続け、一路破滅の道へと暴走していると言っても過言ではないようです。
 この現代の偏物質文明の様々な歪を正すには、物質科学に対応する精神科学の台頭が必要であり、物・心両文明が調和する道しかあり得ないと思考します。

 では、物質科学に対する精神科学とはどのようなものでしょうか?インターネットの検索ページ「ウキペディア」を要約し引用すると「一時期、物理学や化学等の自然科学に対置される歴史学、言語学、経済学、社会学、心理学、宗教学などを総称して精神科学と造語されたが、その後に心理学との位置づけをめぐって、それらは文化科学という名称に替わっていった・・・」という。「物質科学」は誰でも明確に認識できるのですが、「精神科学」という表現は曖昧ですので、筆者なりに下記のように纏めてみたのでご参考にして頂きたい。

物質科学精神科学
西洋文明の特長東洋文明の特長
分析的・細分化包容的・総合的
有形の物質面を対象無形の精神面を対象
自然に対抗する文化自然と調和する文化
物質のエネルギー精神のエネルギー
代表たる国はイギリス代表たる国は日本
アルファベットの力日本語の力

 物質科学と精神科学の違いを手っ取り早く理解していただくために医学を引き合いに考察してみましょう。
 西洋医学は人間の身体を物質的に捉え外科・内科・脳神経化・呼吸器科・ETCと専門化・細分化してゆく医学です。東洋医学は肉体だけでなく精神的に捉え生命力・精神力・気・神経やリンパの流れ・経絡というように、人間の心身を総合的に捉えてゆく医学です。
 このように西洋で生まれた物質文化は専門・細分化し末端へ末端へと極めようとする特長があり、東洋で生まれた精神文化は総合的で元へ元へと遡る特長があると言えるようです。東洋と西洋は対照的に本質的に異なった文化的・思考的な特性が現れてくるようです。 

求められる東西両文明の特長の統合
 この両文化の長所を伸ばし合い短所を補い合いお互いに補完し合ってこそ、物心調和の理想的な文化・文明の出現が可能になるのではないでしょうか?
 ところが、5~600年前ごろから20世紀末までの時代は西洋諸国が主導権を握って世界を動かしていた時代でした。実験実証、再現性のある華やかな物質科学をベースにした西洋文明の思想や価値観は世界を席捲し、人類は唯物的な偏物質科学文明の虜になり暴走するようになって、物心の不調和を拡大し今日の度し難い時代に陥っていると言えるようです。
                                 つづく

●第99回 光透波セミナーのお知らせ
 ●日  時  6月24日(日) PM1:30~4:45      
 ●場  所  神明いきいきプラザ 集会室 A(4F)
 東京都港区浜松町1-6-7
        JR浜松町(北口)徒歩4分
         都営地下鉄大門(B1出口)徒歩4分
 ●演  題  「危機と混迷の時代の曙光=光透波」 
 ●講  師  宿 谷 直 晃 
 ●参 加 費   初回の方は3,000円 2回目以後の方は1,000円

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光透波とは

光透波の名称と天鏡図が生み出された経緯 
 昭和24年(1949)1月14日に黄金の光(絶対光)の霧に包まれるという不思議な体験をされたのでした。
 さらに昭和28年(1953)に「光・透・波」の光の文字が天井の隅の壁から小田野女史の顔に飛び込んでくるという霊的な体験をされ、その瞬間に「透」の字を「秀」と「走」に分解して、秀でた走り=トップスピード・・・。絶対性の謎が「光透波=ことは」であることを悟ったのでした。

 同年6月22日、午前9時ごろ、胸の上部に「白い人差し指」で「天鏡」と刻印される霊現象を体験されたとのことです。
 同年6月25日、霊夢で「アイウエオカキクケコサ」の文字を見せられ、「サ」の次の「シ」音の表意文字が300以上ある凄さに気付き、仰天されたとのことです。
 それ以来4年4か月にわたり寝食を惜しんで断食スレスレの生活を東京の田園調布の自宅で送りながら、アイウエオ50音字の一音一音の奥に潜む神意なる文字を探求し続けたのでした。その過程で真意に沿わない文字を選択すると、自身の体調が崩れるというような不思議な導きを数々受けながら、纏め作業は進んでいったとのことです。
 昭和32年(1957)10月31日に一二三文字の「天鏡図」=「文字の紐解図」=「命波音76音表」は完成しました。その「天鏡図」によって小田野先生は文字の奥に秘められた真理=神意の解明を続け、神の存在証明は文字によってできることを確信して「コトハ(光透波)理論」を確立されたのでした。

 以来、平成13年(2001)、天寿を全うさるまでの40年ほどの間、名古屋や東京等でセミナーを開催し続けたりして、コトハの普及に一途に尽力されたのです。がコトハの真価を理解出来る人は少なかったようです。あまりにも時代を先取りした卓越した理論であったがために、なかなか世には受け入れられなかったのです。
 画期的で斬新かつ深遠な「光透波理論」は、言語学会や言語研究家達の物差しでは到底測り知ることができず、脚光を浴びることがなかったのです。小田野先生に師事されることはの研究者や信奉者によって引き継がれ、未だに世に出ず今日に至っていると言えるようです。
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光透波とは

アインシュタインの相対性原理に触発される
 さて、ことは(光透波=こうとうは)理論では言葉にはこの世にある一切万有、森羅万象を生み出す偉大なエネルギーが秘められていることが説かれています。そしてことばの元素は50音であり、その50音こそ究極の神の本質であり、命の根源であり、天の生命であるとも説かれています。
 現代の科学、宗教、哲学の常識で到底理解出来ない内容ですので以下、光透波を啓(ひら)かれた小田野早秧先生の紹介とともに話を進めてゆくことにします。

光透波理論を啓いた小田野早秧(さなえ)先生
 まずことは理論の誕生からお話しすることにいたしましょう。アインシュタインがノーベル賞を受賞された直後の大正11年(1922)に訪日した際、我が国で大変な熱狂をもって迎えられ、講演された各地で相対性原理の話題が沸騰しました。そのときに「『相対性理論』があるならば『絶対性理論』がある筈だ・・・」と信じ切った女学生がいました。若き日の小田野早秧です。
 明治41年生まれの小田野先生は当時高等女学校に在籍しており、数学などは百点以外取ったことがないという聡明な頭脳の持ち主であったそうです。先生は大正13年に東京女子美術学校に入学され、この時に身に付けた資格で中学校の美術講師となるとともに、「絶対性理論」を思索されたようです。その探求の決意を一段と高めたのが相対理論を根拠に開発された原爆の投下であったとのことです。

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  小田野早秧先生

 信ずることより「何?」という疑問をもって考えることが好きな小田野先生は以来、何かに憑かれたようにエネルギー理論と幾何法則(数理法則)をもとに、「絶対性理論」見えない世界「命とは?」を真剣に思索し追究するようになったのです。長い長い歳月、傍(はた)から見ておかしいのではないか?と思われるほどに探求に明け暮れ、次第に研ぎ澄まされた境地に入られてゆきました。
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