光透波理論の祖・小田野早秧先生
アインシュタインの相対性原理に触発される
さて、ことは(光透波=こうとうは)理論では言葉にはこの世にある一切万有、森羅万象を生み出す偉大なエネルギーが秘められていることが説かれています。そしてことばの元素は50音であり、その50音こそ究極の神の本質であり、命の根源であり、天の生命であるとも説かれています。
現代の科学、宗教、哲学の常識で到底理解出来ない内容ですので以下、光透波を啓(ひら)かれた小田野早秧先生の紹介とともに話を進めてゆくことにします。
光透波理論を啓いた小田野早秧(さなえ)先生
まずことは理論の誕生からお話しすることにいたしましょう。アインシュタインがノーベル賞を受賞された直後の大正11年(1922)に訪日した際、我が国で大変な熱狂をもって迎えられ、講演された各地で相対性原理の話題が沸騰しました。そのときに「『相対性理論』があるならば『絶対性理論』がある筈だ・・・」と信じ切った女学生がいました。若き日の小田野早秧です。
明治41年生まれの小田野先生は当時高等女学校に在籍しており、数学などは百点以外取ったことがないという聡明な頭脳の持ち主であったそうです。先生は大正13年に東京女子美術学校に入学され、この時に身に付けた資格で中学校の美術講師となるとともに、「絶対性理論」を思索されたようです。その探求の決意を一段と高めたのが相対理論を根拠に開発された原爆の投下であったとのことです。
![1_odano_p_pic_2[1]](https://blog-imgs-117.fc2.com/k/o/t/kotohawanokai/201806051749111e5.jpg)
小田野早秧先生
信ずることより「何?」という疑問をもって考えることが好きな小田野先生は以来、何かに憑かれたようにエネルギー理論と幾何法則(数理法則)をもとに、「絶対性理論」見えない世界「命とは?」を真剣に思索し追究するようになったのです。長い長い歳月、傍(はた)から見ておかしいのではないか?と思われるほどに探求に明け暮れ、次第に研ぎ澄まされた境地に入られてゆきました。
つづく
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