セミナー案内, 新時代の道標

抽象的領域では言葉の機能には限界が・・・
 さて、ここで触れたいことは、言葉というものは重宝なもので、言葉によって意思伝達がスムースに出来ると誰もが錯覚していますが、実はそうではないということです。有形の物質的な一面は極めて有効、適切に伝えられますが、無形の抽象的な面は極めて曖昧であり、正確性を有していないという弱点を持っていることです。
 言葉の中には当然のこととして数が含まれますから、言葉とデジタル化した数値を使うことで有形の物はパソコンの画像処理でも明らかなように正確に表現できるようになっています。ところが形の無い目に見えない分野の対象、すなわち「心」「愛」「魂」「神」などの抽象的な領域は、幾ら言葉や数値で表現しようとしても的確に伝え切ることはできません。
 何故なら具体的な表現が難しく受け取る人によって千差万別に解されてゆくからです。このことを顕著に示す事例が、人々が言葉の綾で喧嘩したり、太古の昔から今日に至るまで同じ「神」の名の下で世界の各地で戦争を繰り返していることではないでしょうか?

「語」=後の言葉では生命・霊の究明は不可能
 かつて、筆者は光透波を教わった磯部賢一氏(小田野先生の直弟子)から「有名な哲学者であり近代哲学の祖と言われているデカルトは『心身二元論』を説いたが『心の世界』がはっきり掴めないので、その後の西洋文明の流れは『物の世界』への探求に傾斜して物質科学文化が発達していった・・」と聴いたことがあります。西洋の言語では見えない世界=霊の世界の解明は出来ないから、物質科学文化への流れが起きたのも至極当然のことだったと言うことです。
 否、もっと言えば初めのコトハ=「詞」から外れた「語」の言葉を使うようになっている人類の言語能力では、精神・生命・霊の世界の究明は不可能であったのです。
 この不可能なことが初めて叶うようになったのは、21世紀のUターンの時代を前にして小田野早秧先生によって啓かれたことは(光透波=こうとうは)の字割によってであると断言できるのです。時代の潮流は前回の本稿で記しましたように「体主霊従の時代から霊主体従の時代へ」と転換しつつあります。ことははその使命を担った「文字の言霊学」として出現しているのです。
 換言すれば物質科学と精神科学が調和して開かれる理想の時代、すなわち仏教流に言えば弥勒の時代、キリスト教流に言えばキリストの再臨の時代は、人々の言葉文化が「語」から「詞」へと転換したときに可能であり、ことはがその原動力的機能を発揮してゆくことが予想されるのです。
                              つづく

第100回記念 光透波セミナー
●日  時   7月29日(日) PM1:30~4:45      
場  所   神明いきいきプラザ 集会室A(4F)
         東京都港区浜松町1-6-7
          JR浜松町(北口)徒歩4分
          都営地下鉄大門(B1出口)徒歩4分
演  題   「霊主体従の時代の展望」
講  師   磯 部 賢 一  宿 谷 直 晃 
●参 加 費    3,000円

  ホームページ   https://kotohawanokai.club

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21世紀はUターンの時代
 この歪を解消しなければ人類は破滅の道しかないことを早くから我が国の宗教界では提唱されていました。その代表的なものは「建替え建直し」を説く大本教や日月神示等の教えです。即ち「体主霊従から霊主体従」への切り替えの教えです。分かり易く言えば偏物質文明の生き方=物・金・エゴ中心の生き方にどっぷり漬かっている現代人に、神界からの警鐘が繰り返し降ろされているということです。 
 ところが物質科学万能の思考にマインドコントロールされた現代人は、見えない世界、精神・生命を軽視し神を否定する傾向が大きく「体主霊従から霊主体従」の考え方は、未だに受け入れられていないようです。しかし、時代は確実に霊主体従の時代へと進んでいるのです。
 その一つの表れがことは(光透波=こうとうは)の出現です。数々の啓示を受けて小田野先生によって啓かれたことは、物質至上主義に陥って迷走する現代人を覚醒させ、今日の歪を正す精神科学の哲理として20世紀後半に世に出たのであり、今までの様々な観念的・空論の教えでなく、宇宙の理に適った合理性と整合性をもった言霊学なのです。 
 光透波理論では「文字には宇宙の真理が秘められている」として認識し、漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベット・数字を総合的に把握し、文字の奥に秘められた「謎=宇宙の真理」を読み解くようにしています。特にアルファベットは分析力があり、また数を読み解く文字として捉えています。
 では、転換の時代の到来を「文字」どのように明かしているのでしょうか?

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 時代は21世紀、精神と物質科学文化が融合補完する時代であることを縷々記してきましたが、アルファベットの21番目の文字は奇しくも「U」の字、まさに21世紀は人類がUターンする時代であると読み解けるです。
 聖書によれば「エデンの園」は神と人がお互いに助け合って歩んでいた理想の時代でありました。その後、ヘビに唆されて禁断の果実・リンゴを食べたイブの罪によって、人類は苦難の道を歩むようになったことが記されています。表現を替えれば人類が発祥した直後は神と人が睦み合った理想的な「霊主体従」の時代であったことが推理されます。やがて人類は成長するに伴って自立心が高まり神から離れてゆくようになり「体主霊従」の時代へと転換していったと考えられるのです。
 そして20世紀末までの長い年月、人類は苦難・苦痛の歴史を送ってきたと言えるようです。が、その「体主霊従の時代」から21世紀を迎えて「霊主体従の時代」、すなわち物心調和の時代へと大きな転換の時代を迎えていることを、この「U」の字は物語っていたのです。
                        つづく

第100回記念 光透波セミナー
●日  時   7月29日(日) PM1:30~4:45      
●場  所   神明いきいきプラザ 集会室A(4F)
          東京都港区浜松町1-6-7
          JR浜松町(北口)4分 地下鉄大門(B1出口)4分
●演  題   「霊主体従の時代の展望」
●講  師   磯 部 賢 一  宿 谷 直 晃 
●参 加 費    3,000円

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物質科学と精神科学
 それでは光透波を学んでいる人たちから、これからの時代を導く哲理と信じられている光透波理論とは如何なるものなのでしょうか?
 周知のように現代の人類文明は原水爆ミサイルの開発や、地球環境の破壊、人口の爆発的な増大、食糧危機、各地で沸き起きている戦争や紛争やテロに象徴されるように、さまざまな矛盾と綻びの現象を生み出しています。しかもその解決策を未だ何一つ打ち出すことが出来ずに迷走し続け、一路破滅の道へと暴走していると言っても過言ではないようです。
 この現代の偏物質文明の様々な歪を正すには、物質科学に対応する精神科学の台頭が必要であり、物・心両文明が調和する道しかあり得ないと思考します。

 では、物質科学に対する精神科学とはどのようなものでしょうか?インターネットの検索ページ「ウキペディア」を要約し引用すると「一時期、物理学や化学等の自然科学に対置される歴史学、言語学、経済学、社会学、心理学、宗教学などを総称して精神科学と造語されたが、その後に心理学との位置づけをめぐって、それらは文化科学という名称に替わっていった・・・」という。「物質科学」は誰でも明確に認識できるのですが、「精神科学」という表現は曖昧ですので、筆者なりに下記のように纏めてみたのでご参考にして頂きたい。

物質科学精神科学
西洋文明の特長東洋文明の特長
分析的・細分化包容的・総合的
有形の物質面を対象無形の精神面を対象
自然に対抗する文化自然と調和する文化
物質のエネルギー精神のエネルギー
代表たる国はイギリス代表たる国は日本
アルファベットの力日本語の力

 物質科学と精神科学の違いを手っ取り早く理解していただくために医学を引き合いに考察してみましょう。
 西洋医学は人間の身体を物質的に捉え外科・内科・脳神経化・呼吸器科・ETCと専門化・細分化してゆく医学です。東洋医学は肉体だけでなく精神的に捉え生命力・精神力・気・神経やリンパの流れ・経絡というように、人間の心身を総合的に捉えてゆく医学です。
 このように西洋で生まれた物質文化は専門・細分化し末端へ末端へと極めようとする特長があり、東洋で生まれた精神文化は総合的で元へ元へと遡る特長があると言えるようです。東洋と西洋は対照的に本質的に異なった文化的・思考的な特性が現れてくるようです。 

求められる東西両文明の特長の統合
 この両文化の長所を伸ばし合い短所を補い合いお互いに補完し合ってこそ、物心調和の理想的な文化・文明の出現が可能になるのではないでしょうか?
 ところが、5~600年前ごろから20世紀末までの時代は西洋諸国が主導権を握って世界を動かしていた時代でした。実験実証、再現性のある華やかな物質科学をベースにした西洋文明の思想や価値観は世界を席捲し、人類は唯物的な偏物質科学文明の虜になり暴走するようになって、物心の不調和を拡大し今日の度し難い時代に陥っていると言えるようです。
                                 つづく

●第99回 光透波セミナーのお知らせ
 ●日  時  6月24日(日) PM1:30~4:45      
 ●場  所  神明いきいきプラザ 集会室 A(4F)
 東京都港区浜松町1-6-7
        JR浜松町(北口)徒歩4分
         都営地下鉄大門(B1出口)徒歩4分
 ●演  題  「危機と混迷の時代の曙光=光透波」 
 ●講  師  宿 谷 直 晃 
 ●参 加 費   初回の方は3,000円 2回目以後の方は1,000円

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人間だけが持つ「創造する力」の根源はコトバ
 人類最大のベストセラーであり最古の書物の一つに聖書があります。その聖書の創世記第一章二七節に「神は自分のかたちに人を創造された」とあります。ということは神と人間は似ているという事に他ならないと思います。
 では何が似ているかというと、姿かたちが似ているというのではないと思われます。なぜなら、神を見た人はいないと聖書にあるくらいですから、神には姿、形がない、と言えるからです。
 では、何が似ているのか。それは神の神たる所以(ゆえん)すなわち創造する力を人が持っているということです。それはサムシンググレートが人間にコトバを降ろされたところから始まりました。そのことにより人間は神と同じように創造する力を持つことになったのです。
 言葉があるから人は認識能力が向上し、思考を練り、欲望を燃やし、意識を高め、想像を巡らせることができるのです。そして意識は実現する・・・想像が創造へと結びついてゆき、人類は有史以前から現代に至るまで様々な文化文明を築くに至っているのです。

人が神に最も感謝すべき事は、言葉と文字と光なり
 このこと裏付ける文章が宇宙の意識体から降ろされていますので紹介いたしましょう。某国立大学教授である一二三朋子氏の啓示集に「神から人へ」「神誥記」の著書があります。その2000年5月9日の言葉の中で「神の恵みの最も尊き、ありがたきもの、そがことば。幾多の恵みのその中で、最も人の感謝すべきは、ことばと文字と、光なり。神の慈愛に触れたくば、神の与えしことばに触れよ。神の恵みの明らかなれば、人は自ずと感謝も高めて、命の波動も高まりゆかん・・・」と。このように「人が最も感謝すべきは、ことばと文字と光である」と強調されているのです。コトバが与えられなければ人は神の似姿には到底なれなかったことが理解できるのです。
                                                        つづく
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噴出する危機と混迷は岩戸開きの現象か

明けましておめでとうございます。
 平成30年、西暦2018年の新年が明け染めました。
 しかし我が国周辺では、中国の南支那海や尖閣奪取の動き、北朝鮮のミサイルや核兵器の開発に伴う朝鮮情勢の緊迫。中近東では猛威を振るっていたISの消滅後も、米露の大国の介入に加えて、イラン・サウジを始めとするアラブ各国間の角逐が先鋭化。
 加えて米大統領のエルサレムの首都承認を切っ掛けにイスラムとユダヤの宗教紛争が拡大しています。難民問題で揺れ動くEU諸国、政情不安定なアジア、アフリカ諸国・・、経済的混乱、地球環境の悪化、資源の枯渇、人口の増大・・・。世界人類の混迷は極に達しており、大動乱・大戦争へ危機に直面していると言っても過言ではありません。このような状況にありながらも人類は一向に収拾の道を見い出すことができずに、新たな年を迎えたということです。さてはて、この年はどのような年になるのでしょうか?

平成三十年の新年を光透波理論で読み解く

平成三十年

 文字の奥に秘められた深意を解読する光透波の字割で、この年・平成三十年を占ってみることにいたしましょう。
 平成の「平」の字は「一」「八」「十」のパーツで構成されています。「一」=イ、「八」=ハ、「十」=ト、と置き換えると、イハト→岩戸。「成」→「成る」。そうです「平成」の年号には「岩戸成る」の意味が秘められていたのです。何の岩戸でしょうか?それは人類の救いがたい混迷を直視しますと「物金中心の岩のように固い戸」その岩戸が開くと解することが出来るようです。いよいよ「霊文明への扉が開く」年が到来したということです。
 そして、平成三十年を最後に今上天皇が御譲位なされ、新たな年号に切り替わることが決まっています。従って掲載字割図のように、平成最後の年である新年に霊文明への実(まこと)の答が現われてくる、ことが予想されるのです。
 分かり易く比喩的な表現をすれば、人類は幼虫から蛹(さなぎ)の時代(物質文明)を経て、蝶の時代(霊文明)へと大きく羽ばたく、一大転換の年=平成三十年を迎えたということです。蛹から蝶に生まれ変わる時こそ最も危険性の高い時はありません。まさに人類はその伸(の)るか反(そ)るかの試練に立たされた重大な年を迎えたということです。

霊主体従の時代のキーワード・「光透波(コトハ)」

戌年

 今日までの「物主人従=体主霊従」の生き方から、「人主物従=霊主体従」の時代へと移り変わるデトックスの現象が、世界的な危機と混迷の現象です。新年の「戌」の年を迎えて益々それらが拡大噴出してきてくることも予想されます。その苦しみの中から、実の答=霊文明への道標が現われてくる年、それが本年であると読み解けるのです。
 命波学(光透波理論)は「見る言葉=文字」の奥に真理を読み解く言霊学です。宇宙のご意図を学ぶ思考方式とも言えます。危機混迷の人類の救いの道は言葉の奥の真理が教えてくれているのです。闇の時代から光の時代への道標、そのキーワード・光透波をご一緒に学んでみませんか・・・。

●第94回 光透波セミナー
●日  時  1月27日(土) PM1:30~4:45      
●場  所  神明いきいきプラザ   集会室  A(4F)
        東京都港区浜松町1-6-7
        JR浜松町(北口)徒歩4分
        都営地下鉄大門(B1出口)徒歩4分
●演  題  「光透波Eと健康-2」(第92回セミナーの続き)  
●講  師  森  裕 平   宿 谷 直 晃
●参 加 費   3,000円 

●第27回、和の会 光透波の集い
●日  時  1月20日(土) 午後1:30~4:30
●場  所  橘 樹 神 社 集会所
        横浜市保土ヶ谷区天王町1-8-12
       (相鉄線 「天王町」駅下車 徒歩3分)
●演  題  「光透波と宇宙のご意図」
●講  師  宿 谷 直 晃
●参 加 費  1,000円
  ※詳細は宿谷 (090-2447-2037)まで。

新時代の道標

 毎月の光透波だよりとは別に、小長谷修聖氏に降ろされている言霊の神からの啓示・三六九神示を皆様に配信していますが、その10月号に「根ありて幹や枝や葉も栄え、花も実もつくのじゃ。枝葉栄えて根も太く延びてゆく、神と人の要の理でありて、親という字は木立を見よと教えておるぞよ。目に見えぬ根の働き、神を忘れては、如何なる文明も滅びてしまうのであるぞよ・・・」と、混迷する現代人類に警鐘の言葉が降ろされています。
 物や金に捉われ我善し、今良しのエゴの心に支配されている現代人は、とかく短絡的に花や果実を求め、その奥にある根や幹や枝葉の尊さを忘れがちです。
 「親という字は木立を見よ」と、根や幹の重要さを教えています。「根」→「ネ」→「音」→「コトバ」。その言葉こそ大切にしなければならないことに留意する必要があるようです。奇しくも「神」の字は「ネ」=「音」、「音が申す」と書かれてあるのです。
 求められるは、人の意識=波動の向上時代は物金中心のエゴの時代から、人と人、人と自然、人と宇宙が調和する方向へと大きく転換しつつあります。その転換に伴う揺れの動きが地球規模で頻発している地震・噴火・大風雨・砂漠化・その他の異常気象であり、世界中の国々で噴き出している政治・経済・社会の大混乱と危機と言えるようです。視点を変えて現代流に表現すれば救いようのない今日の危機と混迷はデットックスであり、その浄化現象が世界中で沸き起こっているのです。
 この混乱の大転換期を乗り越えてゆくには人々の意識=波動を高めてゆくことが不可欠になっているようです。そのキーワードこそコトバなのです。人の心、その「意識(こころ)」のどちらの字にも「音」が組み込まれています。そうです、人のこころ=意識はコトバが根本に能(はたら)いているのです。
 光透波は乱れに乱れ、汚れに汚れ、空虚になっている現代の言葉文化を、元の根(音)に回帰させる言葉の学びなのです。関心のある方は次頁掲載の光透波セミナーへ、又はホームページへ・・・・。

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このHPから光透波セミナーの一部の動画を見ることができます。

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光透波理論の祖・小田野早秧(さなえ)先生
 光透波理論(命波理論)の誕生をお話しすることにいたしましょう。大正11年(1922)にアインシュタインが訪日した際、「『相対性理論』があるならば『絶対性理論』がある筈だ・・・」と信じた女学生がいました。若き日の小田野早秧です。
 数学などは百点以外取ったことがないという聡明な頭脳の持ち主であったそうです。「絶対性理論」の思索を一段と高めたのが相対理論を根拠に開発された原爆の投下であったとのことです。

 信ずることより「何?」という疑問をもって考えることが好きな小田野先生は以来、何かに憑かれたようにエネルギー理論と幾何法則(数理法則)をもとに、「絶対性理論」見えない世界「命とは?」を真剣に思索し追究するようになったのです。長い長い歳月、傍(はた)から見ておかしいのではないか?と思われるほどに探求に明け暮れ、次第に研ぎ澄まされた境地に入られてゆきました。
 昭和24年(1949)1月14日に黄金の光(絶対光)の霧に包まれるという不思議な体験をされたのでした。
 さらに昭和28年(1953)に「光・透・波」の光の文字が天井の隅の壁から小田野女史の顔に飛び込んでくるという霊的な体験をされ、その瞬間に「透」の字を「秀」と「走」に分解して、秀でた走り=トップスピード・・・。絶対性の謎が「光透波=ことは」であることを悟ったのでした。
 同年6月25日、霊夢で「アイウエオカキクケコサ」の文字を見せられ、「サ」の次の「シ」音の表意文字が300以上ある凄さに気付き、仰天されたとのことです。
 それ以来4年4か月にわたり寝食を惜しんで断食スレスレの生活を送りながら、アイウエオ50音字の一音一音の奥に潜む神意なる文字を探求し続けたのでした。
 昭和32年(1957)10月31日に一二三文字の「天鏡図」=「文字の紐解図」=「命波音76音表」は完成しました。その「天鏡図」によって小田野先生は文字の奥に秘められた真理=神意の解明を続け、神の存在証明は文字によってできることを確信して「光透波理論」を確立されたのでした。

 以来、平成13年(2001)、天寿を全うさるまでの40年ほどの間、名古屋や東京等でセミナーを開催し続けたりして、ことはの普及に一途に尽力されたのです。
 しかし光透波の真価を理解出来る人は少なかったようです。あまりにも時代を先取りした卓越した理論であったがために、なかなか世には受け入れられなかったのです。
 画期的で斬新かつ深遠な「光透波理論」は、言語学会や言語研究家達の物差しでは到底測り知ることができず、脚光を浴びることがなかったのです。小田野先生に師事する光透波の研究者や信奉者によって引き継がれ、今日に至っていると言えるようです。

 本日は小田野早秧先生の命日です。93才の天寿を全うされまして2001年の11月24日に逝去なされました。
 やがて時代がこの日を顕彰するようになることを願って止まない次第です。