文字の面白さ

聖書

言葉は音であり波動
 視点を変えて考えて見ましょう。言葉、それは音ですね。音は波動。人間の可聴範囲の音は1秒間に20ヘルツから2万ヘルツの振動数と言われています。それが1秒間に3千ヘルツから3兆ヘルツの範囲の振動数になると各種の電波になり、そして3兆ヘルツ以上の振動数になると各種の光に変わってゆく。さらに3京ヘルツ以上になると、放射能域の振動数になってゆくと言われています。
 このことから、音・ 電波・光・放射能、これらはすべて振動によって生じています。表現を変えれば波動によって成り立っており、振動数の多寡によって性質を違えていると言えるようです。
 現代科学では、一切のものが波動によって成り立っていることが証明されています。したがって「音」を広義に波動と解しますと、先に掲げた聖書の「初めに言(ことば)があった・・・言は神であった・・・万物は言によって成った・・・」の意味が抵抗なく理解できてくるのです。

人間にとり決定的で重要なもの
 このように人間にとって決定的で重要なコトバ、その真相・真実を解明して言葉の奥に秘められた宇宙の法則・真理を探究する言霊学、それがことは(光透波=こうとうは)です。ことは(光透波)は万葉の昔から「言霊の幸はふ国」と語り継がれてきた日本の国に誕生しました。後述しますが世界で6500~7000あると言われる言語のなかで、日本語の土壌の中でしか生まれ出ない所以があったからです。
 「謎」という字は「言(ことば)」に「迷」うと書かれています。その言葉の「迷い」を解けば「謎」は解消するのです。光透波理論はその謎解きの哲理を有した言霊学です。ことはの字割理論によって言葉の奥に秘められた真理が解明されるようになったのです。   (つづく)   
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人間は言葉の動物
 では、このように人間にとって重要な意味を持つ「言葉」とはいったい何なのでしょうか?すこし掘り下げて考えてみましょう。
 新約聖書のヨハネ福音書第一章に「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(新共同訳)と書かれています。
 また、ギリシャの哲学者・アリストテレスは「人は言葉の動物である」と喝破しています。

アリストテレス

 多くの人々が知るこの二つの文章は、人間にとって言葉が決定的に重要なものであることを語っています。すでに遠くローマ時代やギリシャの都市国家時代に「コトバが神である・・・」「人間の人間たる所以はコトバにある・・・」と説かれていたのです。
 ところが現代人の多くはこの言葉の本質に気付かずにいます。情けないことに言葉を道具の一つのように錯覚し嘘や偽り誇張した言葉、さらに破壊的で暴力的な言葉を乱発しています。当然のこととして言葉とは何か?について殆ど考えようともしていません。

言葉がなければ「想うこと」も出来ません
 近代哲学の世界でもコトバについて殆ど触れられずにきているようです。デカルトは「我想う故に我あり」と有名な言葉を残していますが、では、何故に「想う」ことができるのでしょうか?もし、言葉がなければ「想うこと」も出来ないはずです。
 認識するすべての事象には名がついています。小は原子・素粒子の世界から大は宇宙・銀河系の星々に至るまで、人間が認知しているもので名が付いていないものは何一つありません。名=言葉であり、その名の組み合わせによって、人は物事を識別し認識し思考し、欲望を膨らませ、想像し、意識し、そして人類の全ての文明文化を創造し生み出しているのです。
 もし、言葉が無ければ人は犬や猫や同様に何一つ創造することが出来ない、ただの動物に過ぎない存在に陥ってしまうのです。
 もし言葉が無ければデカルトのように「我想う」ことも出来ず。アリストテレスの指摘するように「人間は人間たる根拠を失う」ことになってしまうのです。
 したがって言葉が無ければ、この地上の一切の人工物もなく、人類の文化文明も存在せず、同時に人間は人間たる意識も持てず、天地宇宙、森羅万象、神の存在すら認識することも不可能になってしまう筈です。 (つづく)

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ことは(光透波)への誘い
 私達は言葉で考え、言葉で思い、言葉で意識を高め、そして互いにコミュニケーションをとって生きています。そのように重大な言葉というものについて考えたことがあるでしょか?多くの人達は「人間は頭が良いから言葉や文字を造りだしたのだ・・・」と考え、言葉を道具の一つのように錯覚し軽く受け止めているようですが、果たしてどうでしょうか?

言葉について考える
 色彩鮮やかな美しい絵、そしてメルヘンチックなうちに自然の大切さや、豊かで純真な人の心を描いた動画作品を数々生み出した宮崎駿の作品の一つに「もののけ姫」があります。そのヒロイン、サンは大きな山犬に育てられた野性味あふれる猛々しい美少女として描かれて大活躍する。その迫真の大きなスケールの長編アニメ映画に多くの観客は感動し魅了されました。
 その「もののけ姫・サン」は山犬に育てられたにも拘らず、ストーリーは人の言葉をしゃべって展開しています。山犬に育てられた人間が言葉をしゃべるはずはないのですが・・・。

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 このような人間が動物に育てられた話に、1920年代にインドのベンガル州で発見されたアマラとカマラの二人のオオカミ少女の実話?があります。アマラは生後1年6か月、カマラは8歳と推定され、保護後に手厚く育てられたがアマラは程なく死に、カマラは9年近く生きたが、言葉もろくに覚えられず人間として適応できないうちに亡くなってしまったという話です。このオオカミ少女の話は現代では信憑性が無いと否定されているようですが、アメリカでは一時期実話として「人は愛情あふれる言葉によって育まれなければ言葉を覚えず健全に育たない」事例として教科書にも掲載されていたそうです。 

 言葉が人間にとって如何に大切なものであるか?それを証明する実験が行われていたので紹介いたしましょう。
 それは捨て子が沢山いたという中世のドイツで、フリードリッヒ大王が行った実験でした。子供がどのように言葉を覚えるのか知るために、乳児の捨て子を集め、全員に暖かい部屋、暖かい衣服、暖かい食事を与え、2グループに分けて行われたそうです。
  A:(物を扱うように)児に言葉をかけないグループ
  B:(母のように)優しい言葉をかけるグループ
 3年後、Bグループの赤児は普通に育っていったのですが、Aグループの子供たちは全く言葉を話すことが出来ず、その上に全員数年後に死亡したそうです。この実験によって私達が想像する以上に、小さな子供にとって「言葉」掛けが食べ物や衣服よりも生きる上で重大な要素であることを知ることができるのです。     (つづく)

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平成タイトル

平成三十年、霊主体従への岩戸が開かれる

 新約聖書のヨハネ福音書の第一章に「初めに言(コトバ)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった」と、言葉の本質・核心が明確に説かれています。が、この聖書の文言の深意を古今東西の殆ど全ての人々は勿論のこと、現代に生きる殆ど全ての人も理解出来ずに、コトバの真髄に気付くことはありませんでした。
 ところが21世紀を目前にして、古くから言霊の幸はう国と言われてきた日本の国に、このコトバの本質を明確に読み解く言霊学が出現しているのです。「光」の「透」明な「波」動と書く「光透波」です。
 その光透波理論(=命波学)に立って「本年」を読み解いて、今年が時代の大転機にあって重要な年であることを紹介いたしましょう。

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 命波学(=光透波理論)ではアルファベットは数を読み解く文字として活用しています。「U」の字はアルファベットの21番目です。21番目は21世紀を表わしていると解せるのです。「U」はUターンの意味もあり。ですから21世紀は「体主霊従の時代から霊主体従の時代へUターンする世紀」と読み解いております。

 今日、世界中に湧き上がっている様々な現象を観て、多くの人々は無意識のうちに人類は大きな転換の時期に遭遇しているのではないか?と薄々を感じ取っているのではないでしょうか?その大転換の根底にある動きが「体主霊従から霊主体従の時代」に移り変わるということです。

平成三十年の深意を読み解く
 それでは年号の平成30年、今年がどのような年なのか字割して探ってみたいと思います。
 今年は「平成の年号」の最後の年です。来年4月30日に今上天皇は御譲位されますので、まるまるの「平成」の御代は今年が最後になるということです。
 では「平成三十年」には如何なる意味が秘められているのでしょうか?

岩戸
三十年

「平成」の年号は上図のように「岩戸成る」と解せます。先程の「U」の字の解読と関連合わせますと「平成」の年号には「体主霊従にと封じ込めていた岩戸が開かれる」という意味が秘められていたのです。
 そして今年は平成の年号の最後の年・三十年です。「三十」には以下の図解で示した意味があります。

 「三十」→「ミト」→「實答」。すなわち「平成三十年の意味するところは、岩戸を開く實(まこと)の答が世に出る年」ということで、凄い意味を持つ年であることが浮かび上がってきます。
 この字割の解読とピタリ合致する神界からのメッセージが降りていますので紹介いたしましょう。「三六九神示」の本年1月8日号の内容です。

三六九神示抜粋
 平成30年1月8日雲分けて昇る日の出に明け染めし、平成三十年。
 裏の畑でポチが鳴く、ここ掘れと鳴く声に掘って見れば、何が出てござるかな?大判小判か?はたまた瓦か瀬戸欠けか?・・・・。花咲き爺の始まりぞ。大きな節目のこの年であるぞ。
 扨ても三十年一節と申してあるが、天と地も、内も外も、平らかなれと願いて開いた平成の御代は、一月八日が初めでありたぞよ。
 総て平らけく安らかに治まれと願ってきた平成の御代、神界の四九三(仕組)は進めども・・・、この世は世界も日本も荒事重なり、平成な三十年ではなかったぞ。
 その荒事の中で見せたのは、三千年の体主霊従の世の思凝り思凝った因縁の浄化の様でありたぞよ。
(そのような中、建替え建直しを開く、元の大神は御出現、以下3行は筆者注釈)
   平成 7年1月17日、神の戸開きの阪神大震災
   平成23年3月11日、艮の金神が世に出る東日本大震災
   平成28年4月14日、坤の豊雲の大神が世に出る熊本大震災
 悲惨な荒事の中に今後人類が歩むべき道の警鐘が示してあるぞよ。世界の様はますます厳しく危険となり、核兵器を持ちての威嚇、力による平和は真のものでなく、間違えば世界大戦、世界の滅亡ともなりかねない状態であることを、人類は真剣に考えなければならぬ時とめぐりておるのであるぞ。
 荒れ狂う嵐の前の世界の中で、清浄で安全な世界平和の鑑を示さねばならぬのが、この日本の始めからの神命であるぞよ。
 註―三六九神示とは丹後の地にある元伊勢と言われる籠之神社の先達を務められる小長谷修聖氏に国常立之神様系の御神霊から降ろされた啓示です。

 この「花咲爺のポチの話」に仮託した宇宙の意識体からの啓示にありますように、いよいよ正邪善悪を明らかにする時代が、今年から始まるようです。
 そして平成三十年は、その岩戸を開く實(まこと)の答が出てくる年という、大きな節目の年になることが展望されます。

詳しくは光透波セミナーにて解説いたします。

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心は言葉によって生み出されています

音を聞いて理解する言葉、
その言葉を目に見える形で表わし見て理解する文字。

声となって表現される言葉は聞こえても目に見えない。
文字は目に見えても声にしなければ聞こえない。
聞いて、見る、言葉と、文字。
そこに重大な神秘が隠されていました。

さらに、もう一つのコトバが働いていることをご存知ですか?
頭の中で絶えることなく、休むことなく働いている心のコトバです。
この心の言葉を使って私たちは、思考し、意識を持ちことが出来ているのです。

言葉無くして、頭の中で思考することが出来ますか?
誰も、出来ないはずです。
思考するときは、必ず心の中で言葉を使っているのです。

そうです。コトバが私たちの心を作り出していたのです。

それ故に、言葉は私たちが想像する以上に大きな大きな働きを
していたのです。

つづく

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言葉の奥に深意→神意が・・・

言葉、そして言葉を形で現わした文字というものは、その奥に人智では到底考えることも想像することもできない、深い神性=法則性と魂、パワー・エネルギーを持っているのです。

 それでは、その言葉や文字の不思議な一端を垣間見てみましょう。

私たちの身体を表す漢字には、心臓・胃・腸などと「月」が入っているものが多く使われています。
不思議に思いませんか?
 また「神」の字の読み方は、カミ・カン・ガン・ミ・コウ・シン・ジン等いろいろあり、この読みに照らし合わせると、私たち人間の身体の多くの名称に「神」の名が使われていることです。

 身体=神体、人体=神体、神経=神経、髪の毛=神の氣、顔=ガン=神、眼=ガン=神、眉間=ミケン=神間、口=コウ=神、耳=ミミ=神々、喉=コウ=神、心臓=神臓、肝臓=神臓、腎臓=神臓、副腎=副神、睾丸=神丸、肛門=神門・・・。

このように捉えてみますと、文字の不思議さとともに、私たち人間の身体には神性が宿っていると考えられませんか?「誰が考えたのだろう・・・」と思わずにはいられませんね。

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「申」→「シン」→「震」
今年は「申」年。

訓読みでは
 「」→「サル」→「る」。古いものが去る。

音読みでは
 「」→「シン」→「」「」。

今年は新しい時代を迎えて、古い時代のものがる。

その震え動く転換の年と言えるようです。

そして、起きた異常の上に異常と思える熊本大震災・・・。